賛否両論。なぜFF12は低評価だったのか!




こんにちは、FF12ではバッシュの言動が好印象だったcoco13世です。

FF12は名作と呼ばれたFF10と同じPS2で2006年に発売しました。

そして1年後の2007年にはジョブシステム等を追加したFF12インターナショナルゾディアックジョブシステムが発売しましたが、その後はしばらく音沙汰がありませんでした。

しかし2017年にリマスター作品としてPS4でFF12ザ ゾディアック エイジ が発売となり翌年にはPCにて発売。そして2019年4月にswitchやXboxで発売となりました。

一見するとヒット作であったことからリマスターとして各ハードで発売した感じに見受けられますが、当初はかなり低評価でした。

なぜ低評価であったのか考察していきます。

主人公の存在が薄い

公式画像でも存在感が薄い主人公

ストーリーとしての存在感のなさ

FFと言えば主人公を中心にストーリーが構成されているのが特徴です。

しかし本作の物語はアーシェを軸としており、肉付けとしてガブラスと因縁があるバッシュや後半の敵のキーファクターとも言えるドクター・シドの息子のバルフレアが挙げられます。

主人公であるヴァンは物語のキーファクターとは言えず、完全に物語の外側の配役とされています。

ヴァンも兄の死を憎む時期がありましたが、アーシェと違い早い段階で死と向き合うことができたため葛藤に苦しむアーシェと比較すると、どうしても印象が薄くなるよね。

また、これまでの主人公のようなリーダーシップを発揮することもなく、主人公がいなくても物語が完結してしまいます。

本作は政治や戦争がメインのため、一個人がストーリーに大きく関与するのは難しいですがFFTのラムザのように物語の表は他のキャラに任せ、裏では主人公に活躍してほしかったです。

戦闘面における存在感のなさ

FFの主人公といえば戦闘面でも補正が入っていることが多いです。

本作品においてはステータス面では優遇はあるのですが、平均以上のステータスというだけで、インパクトに欠けます。

またFF7のクラウドの「超級武神覇斬」FF8のスコールの「エンドオブハート」のような他キャラを凌駕する派手な必殺技もありません。

ジョブ的には盗賊が主人公のFF9のジタンと似た位置になるけど、FF9ではほとんどのボスが良質な武具を保有していたため、主人公専用アビリティである「盗む」が必須化してたよね。

FF5も主人公専用ジョブや専用装備は在りませんでしたが、ストーリー面では暁の戦士の息子という血筋やリーダーシップを発揮していたため、主人公としての存在感は強かったです。

主人公の存在感を上げる敵やライバルがいない

存在感が強い主人公の裏には、存在感を上げるキャラがいるものです。

FF7ならばセフィロス、FF8ならばサイファー当たりでしょうか。

またFFTのラムザのように主人公が世間知らずの未熟者であっても、主人公の周り(敵役含む)のキャラと密接に関わることにより主人公の存在感が増しています。

FFTにおいては現実主義のガフガリオン、理想に燃え現実を知ったウィーグラフと密接に関わったことによって主人公は見事に熟したよね。

しかし本作品では主人公の存在感を敵やライバルは・・・

実の兄を死に追いやった要因であるガブラスという敵はいましたが、ガブラスとはバッシュやアーシェの方が関係性が強く主人公と関わる場面は少なかったです。

物語終盤の大灯台でのヴァンとガブラスのやり取りも、レダスとガブラスのやり取り同様にアーシェの決断(繭の破壊)の材料の1つにされてしまったうえに、ガブラスとの最終決戦でもバッシュ加入時にのみ専用のカットシーンが用意される形でした。

また後半のキーファクターとなるドクター・シドにおいて対となるのは当然ながら息子であるバルフレアとなるため、主人公の存在感を上げてくれる敵キャラやライバルが微妙でした。

ストーリーが難しい

本作品は上辺だけのストーリーだと物足りないストーリーに陥ります。

しかし深い部分まで知ると実はかなり濃厚なストーリーだと知らされます。

FF12が一番低評価されたのがストーリーですが、同時に一番再評価されたのもストーリーなのです。

子供向けではない

本作品のテーマは「自由と義務」である。

そして本作品ではこの義務(責務)に対する苦悩が描かれている場面が多く、組織等に属した人や社会に出た人には共感しやすいのですが、反面、子供には共感しにくい内容です。

味方キャラではアーシェが義務(責務)に一番悩まされています。

帝国への復讐という個人の強い想いに対し、国家再建という大きな責務。

帝国のラーサーからの「友好」による解決策も当初は個人の復讐の想いが先行して躊躇う場面がありました。

「頭ではわかっているのよ。今のところ大戦を防げる唯一の手段だわ。でも私に力があれば、そんな屈辱!」

そんなアーシェにバッシュが「責務」について語ります。

「人々を戦乱から守れるのであれば、どのような恥であろうと、甘んじて背負います。国を守れなかった、その恥に比べれば・・・・」

ここでバッシュが一番伝えたかったことは王女としての責務でしょう。

敵キャラではガブラスが義務(責務)に一番悩まされています。

悩みすぎて最後には暴走してしまう不遇なキャラでもあります。

その暴走を「お前の問いに答えるのが兄としてのつとめだな」と真っ向から受けるバッシュもまたガブラスに対する責務を感じていたのでしょう。

ラーサーを守るためにヴェインに同志(ジャッジ・ドレイス)の処刑を強要された場面は、まさに責務の象徴とも言える場面でしょう。

同じ「義務」でもアーシェは組織の長として、ガブラスは組織の中間管理職と異なった立場です。

また「義務」という重いテーマは、良くも悪くもプレイヤーの生活環境に左右されやすい内容でもあります。

キャラが多様に描かれている

本作品は味方キャラはもちろん敵キャラの価値観や行動理念も多様に描かれています。

しかし価値観や行動理念が多様に描かれることにより、ストーリーが深くなる半面、各キャラを把握していないと言動や行動に共感できず、面白さが半減します。

敵キャラの価値観や行動理念が多様に描かれていた場面としては、敵側である帝国の皇帝グラミス殺害の場面が一番印象的です。

<場面要約>
グラミス皇帝が暗殺(毒殺)された事件。
犯人は皇帝やその息子であるヴェインらソリドール家の対抗勢力である元老院のグレゴロス議長で、皇帝暗殺後に自害。元老院の大半が共犯者とされ一斉に逮捕。
この事態で議会権限が停止され、ヴェインは公安総局により臨時独裁官に任命され就任。
これは茶番だと糾弾してヴェインに刃を向けたジャッジ・ドレイスは公安総局に背いた罪でジャッジ・ガブラスの手により処刑された。

しかし事実は大きく異なります。

まずドレイスはヴェインが権力を掌握するために皇帝を殺害したと考えるが、事実は殺害でなく自害である。

皇帝は三男ヴェインを危険視していたが、それ以上にヴェインを排除して四男ラーサーを皇帝に祭り上げ、その後ろ盾で権力を牛耳ろうと企てていた元老院も危険視していたため、自らの命を持って元老院を排除した。

「すべてはソリドール(家)のために」という点ではヴェインもグラミス皇帝も理念は同じです。

またドレイスはヴェインが弟のラーサーも始末するのでないかと心配していたが、ヴェインは物語を通じ一貫してラーサーを信頼しており、ラーサーのために汚れ仕事を担い、最終的にはラーサーに帝位を譲る考えだった様子。(ドレイスから見れば兄2人と父に手をかけたのだから次は弟の番と考えるのは必然です。)

ヴェインにおいては2つの行動理念が挙げられます。

1つが前述した「すべてはソリドールのために」

もう1つが「歴史を人間の手に取り戻す」ことです。

歴史を人間の手に取り戻すためにはシドやヴェーネスと共に自身が帝国の先陣に立つ必要があるため、指揮官から追いやろうと企てている元老院が邪魔であった。

そのため余命が限られたグラミス皇帝に自害を提案して、「すべてはソリドールのために」の理念のもとにグラミスは提案(自身の自害)を受け入れたのです。

その場にいた4人のジャッジマスターも多様に描かれています。

ジャッジ・ガブラスやジャッジ・ドレイスはラーサー派であり、ラーサーは元老院の人形で終わる人物ではないと確信する一方、人形にならないと分かれば元老院は手のひらを返してラーサーを潰してくると逆に心配している。

またドレイスとガブラスの信頼関係もこの場面では強く描かれています。

少し前の場面でドレイスはガブラスに「卿と私でラーサー様を守り抜く」と言っています。

その言葉に偽りはなく、ドレイスは処刑の間際にガブラスにラーサーの事を託し、ガブラスの刃を受けれいます。

補足:ヴェインはガブラスがグラミス皇帝に密告していたことを把握しており、主を自分に変える代わりにドレイスを処刑しろと命じます。ヴェインの下に残らないとラーサーを守る立場を失うと判断したドレイスとガブラスは互いに処刑を受け入れたのです。

ジャッジ・ベルガは「力こそ正義」と考えておりヴェインを崇拝している。またヴェインの行動原理の1つである「歴史を人間の手に取り戻す」ことにも共感している。ただし今回の真相をどこまで知っている不明だが、ドレイスと違いベルガの場合は目的のために血族を殺害する非常さも帝国には必要と考えている。

ジャッジ・ザルガバースはこの件が茶番だと知りつつも、帝国を守るためにはヴェインの力は必要だとドレイスをなだめる一方、ドレイスの処刑を命じたヴェインに対し声を荒げ穏便な処断を要求したり中立的な立場。ヴェイン派でもラーサー派でもない。

このように敵側だけ見てもキャラの価値観や行動理念が多様に描かれていますが、キャラをしっかり把握しないと物語の表面部分しか読み取れず、面白味に欠けてしまいます。

ヴェインは「ソリドールの存続」「歴史を人間の手に取り戻す」の2つの行動理念があったため、キーファクターながら、やや分かりにくいキャラになった感があるよ。

ストーリーを把握する前提が多すぎる

本作品は主人公ヴァンを操作するまでのオープニングの背景(各国の力関係、事実関係、対人関係)をしっかり理解しておかないと作中のイベントが理解しづらいです。

また作中の主要キャラも前提知識を理解しているうえで会話をしているため前提知識がないと、点と点が結びつかず、うやむやのまま物語が進み悪循環に陥ります。

そして、ここで問題とされるのが、この前提知識の量です。

正直アルティマニアがないと1周目からしっかり理解するのは難しいと思います。

これまでのFFはストーリーの前提知識が乏しくても、普通にゲームを進めていけばある程度は理解できてしまったたため、よけいに最初の段階でストーリーの理解に躓く人が多かったと思われるよ。

サガフロ2同様に本作品のストーリーを深く知るためにはアルティマニアが必須です。

投げっぱなしのストーリー

プレイヤーにストーリーを投げっぱなしにしている部分が多く、普通にプレイしているだけではストーリーが分かりにくいゲームと言えば河津秋敏が携わったサガフロンティア2が僕の中で有名です。

そして本作品のプロデューサーはFFTやタクティクスオウガを製作した松野泰己であったが諸事情により河津秋敏に変更となり、サガフロ2同様にプレイヤーに考察を求める(残す)作品となりました。

サガフロ2も当初はプレイヤーに考察を求めるストーリーに対し低評価を受けたけど、時間と共に評価を上げた作品だったよ。本作品も同じ轍を踏んでることから、これも河津のサガかもしれないね。

序盤、プレイヤーに考察を求めている内容として下記の通りです。

①ビュエルバの統治者オンドール候はなぜバッシュの死亡という偽りの情報を発表してしまったのか。また、それは帝国(ヴェイン)にとってどのような利があったのか。
②ガブラスがヴェインにビュエルバの反帝国組織とオンドール侯は裏で結託している疑惑があることから「オンドールを押さえるべき」という提示したにも関わらず、ヴェインはなぜ実力行使をしなかったか。

これらの真相は物語の中で全て語られず、プレイヤーが物語の中で得た知識や流れから考察することになります。

そして厄介なことに製作者側は考察を前提でシナリオを製作しているため、考察を疎かにすると真意がわからず、ただのおつかいゲーム化します。

例えば、アーシェが帝国に身柄を拘束された際にバッシュ一同は、過去に自身の死亡を発表したオンドール侯の元に現れ、アーシェ奪還の手助けを求めます。

バッシュの死亡を発表したオンドールからしてみれば、バッシュの存在そのもが弱みであるが「あえて敵陣に飛び込めば、貴公は本懐を遂げるはずだ」というセリフを放ち、表情でバッシュの覚悟を確認した後に、一同を侵略者として拘束してバッシュ一同を帝国に引き渡すという形で要望に応えます。

バルフレアはその真意に気がつき「オイオイ、俺たちを巻き込むなよ」という顔でバッシュに訴えますが、主人公ヴァンは侵略者として連行された真意が理解できていません。

考察せずに物語を進めるとヴァン同様にオンドールの真意がわからず、わけもわからず帝国の戦艦に連行されて、なんとなく物事がうまく進みアーシェを奪還できた感じになります。

しかし考察してゲームを進めると、ヴェインはオンドールの弱みを作るためにあえてバッシュの死亡をオンドールに発表させいざというときはバッシュの生存を表に出し、反乱軍に不信感を与えることが狙いと分かります。(これが①のヴェインの狙いです。)

またバッシュの生存を知ったオンドールは「ジャッジ・ギースにバッシュの身柄を引き渡す」という内容の手紙をヴェインに送ります。この手紙の真意はヴェインの狙いを知った(バレた)脅しも含んでおり、オンドールの目論見通りヴェインは②のガブラスの提示を却下しました。

「あえて敵陣に飛び込めば、貴公は本懐を遂げるはずだ」の言動の裏には

中立国としての立場を守りつつ、バッシュの要望にも応え、ヴェイン(帝国)に牽制も図るという真意がありました。

少し嫌な見方をすると仮にバッシュが奪還に失敗して処刑されても、バッシュの死亡を発表したオンドールにとってはむしろ好都合でもあります。

このように本作品では「考察」をプレイヤーに求めており、考察の有無で、物語の見方が大きく別れます。

FFTも序盤の王女誘拐や公爵誘拐等、考察を求める部分はあったけどプレイヤーに真意を理解してもらえるようにディーリータやウィーグラフがラムザを通じてプレイヤーに真相や目的を説明していたよね。
本作品でもFFT同様にバルフレアやバッシュがヴァンを通じて真相や狙いを物語のセリフに組み込めば、もう少しストーリーの真意を多くのプレイヤーに理解してもらえたかもしれないね。

戦闘システムが複雑

FF12と言えばライセンスと並び戦闘システムの要であるガンビットシステムが複雑に感じたプレイヤーも多かったのではないでしょうか。

ライセンスシステムは無印版から大きく改善されたため、ここでは割愛します。

ガンビットシステム

本作品で最も注目を浴びたのがこのシステムです。

簡単に言ってしまうとAIの設定をプレイヤーに委ねるものです。

・味方のHP○○%以下になったらケアル
・一番近い敵に物理攻撃
・氷に弱い敵にブリザガ

これらの命令文を優先順位を設定して組み立てます。

ドラクエのAI聖剣伝説2・3の操作以外のキャラの行動パターン設定をより細分化したもので自由な反面、責任は全てプレイヤーに帰属します。

ドラクエならばAIキャラがボス相手に回復呪文より即死呪文を優先させたからゲームオーバーになった等、責任転換できますが、このガンビットシステムでは責任転換はできません。

このシステムがあれば、ドラクエ4のラスボス相手に即死呪文を連発する不可解な事は防げたよね。

このガンビットシステムはこれまでのFFの戦闘システムと比較すると非常に奥が深く、プレイヤーに大きく委ねられることから、活かすも殺すもプレイヤー次第になってしまいます。

また、これまでのFFと違いこの斬新なシステムを活かさなくても(ガンビットシステムをOFFにしても)クリアは可能であるため、より一層活かすプレイヤーと殺すプレイヤーが二極化してしまいした。

本作品では物理攻撃が主体であるためガンビットを常時OFFにしてプレイヤー手動によるごり押しでもクリアは可能です。

ガンビットはこれまでのFFでプレイヤーによって最も差が出るシステムでした。

過去作品の呪縛

本作品はFFのナンバリング作品であるため、当然ながらプレイヤーの大半は過去のFFを経験しています。

プレイヤー層もFF1から経験しているコアプレイヤーもいれば、FF10からFFを始めたライトプレイヤーと様々でしょう。

当然ながら本作品の評価はナンバリング作品である以上、絶対評価でなく過去作品との相対評価となるため、斬新な要素を多く含めた(含め過ぎた)本作品の評価はプレイヤーにとって賛否両論となる作品となりました。

ストーリーより戦闘重視

FFといえばストーリーと言い切ってしまう人は多く、実際にFFはストーリーに注力していました。

しかし本作品のプロデューサーはFFTやタクティクスオウガを担当した松野ロマサガシリーズを担当した河野です。

2人の共通点としてストーリーより戦闘面(システムややり込み等)で評価されている作品が多いことです。

ロマサガ2なんて完全に戦闘システムに特化したゲームだったよね。ロマサガ2ではキャラなどラスボスに対抗できる屈強なメンバーを作るためのコマでしかなかったよね。

そんな2人によって製作された本作品はやはりストーリーより戦闘に特化している部分が目立ちます。

ガンビット等の戦闘システムはもちろんですが、ラスボスを凌ぐ敵の多さやアイテム収集などの戦闘におけるやり込み要素も圧倒的で、やり込みプレイヤーが続出するロマサガシリーズと肩を並べています。

バランス的にはこれまでが、ストーリー:戦闘を5:5とすると、本作品は3:7ぐらいでしょう。

それでもFF12のストーリーは前述の通り奥深く、高い評価を得ても良いと思いますが、FFシリーズはもちろんRPGの中でもストーリー部門では最高傑作の分類に入るFF10と比較されると、戦闘に趣を置いた本作品は低評価に繋がりやすいです。

FF10から始めたライトプレイヤーにとっては本作品の戦闘はハードルが高かったと思われるよ。

システムの根本部分の撤廃

これまでのFFでは世界全体を舞台に旅をして、フィールドに街やダンジョンが設定されていました。

ダンジョンでランダムエンカウントが採用され、敵を倒すと経験値の他にお金がもらえました。

召喚獣ではおなじみのイフリートやシヴァ、バハムートなどが用意されていました。

しかし本作品ではイヴァリースという世界の一部が舞台であり、フィールドは撤廃され聖剣伝説のようにダンジョンや街が繋がっています。

戦闘面においてもRPGの定番とも言えるランダムエンカウントを撤廃して敵を可視化できる仕組みとなっており、その敵を倒してもお金は貰えず、敵が落とした道具を売却することでお金を得る手順となっています。

また従来の召喚獣の名前は帝国軍の飛空艇の名前に用いられ、本作品の召喚獣の名前はFFTのボスであったルカヴィや従来のFFのラスボスの名前となっております。

この根本部分の撤廃の背景には「これまでとは違う新しいFF」徹底するためであり、本作品はナンバリングタイトルを制作した経験したことがない者たちを中心に生み出されました。

しかしナンバリングタイトルである以上、根本があまりに異なれば「これはFFではない」と拒絶反応が出るのは必然であり、賛否両論の要因の1つとなりました。

FFを期待するプレイヤーにFFでない作品を提供すれば、たとえ作品自体が名作でも評価は落ちてしまうよね。
飲食で例えるなら、ラーメンの「量」を期待する客に「味」で勝負するようなものだよ。提供側が顧客のニーズに合ったサービスを提供しなければ不満が出るのは当然です。

単純な勧善懲悪の話ではない

本作品は味方キャラはもちろん、敵キャラにも様々な価値観が描かれており、これまでの作品のように「帝国=悪」「世界を滅ぼす悪い敵」といった分かりやすい構造ではありません。

そのため、悪い敵を成敗して世界を救うことに趣を置くプレイヤーにとって、本作品は消化不良に悩まれます。

本作品の敵側であるヴェインやシドにおいては強い信頼関係を築いているうえに「歴史を人間の手に取り戻す」というRPGの主人公側のテーマになりそうな信念も共有しています。

本作品の話を要約すると

神に近い種族「オキューリア」は自分たちが認めた人間に「破魔石」という強力な力を持つ魔石を与えることで、イヴァリースを管理していました。
しかし「オキューリア」の異端児であるヴェーネスはオキューリアには歴史を導く資格などないと考えヴェイン、シドに破魔石の秘密を教えました。
秘密を知ったシドはオキューリアに管理されていた事実に嘆き「歴史を人間の手に取り戻す」ことを誓います。
そしてシドは破魔石を入手(製造)するために新たな覇王となるヴェインと共謀してナブラディアそしてアーシェの祖国であるダルマスカを侵略します。(侵略の目的は破魔石だけでなくロザリアとの大戦もあります。)
その「歴史を人間の手に取り戻す」過程でアーシェの祖国を侵略した結果、アーシェや主人公のような帝国に復讐を持つ者やバルフレアのような因縁を持つ者が現れる筋書きです。

目的(破魔石)のためにナブラディアやダルマスカで犠牲者を出したことに対しては「悪」かもしれませんが、目的を果たすために相手側に犠牲者が出ることは一般のゲームでも良く出てくる話です。

FF7のミッドガルの魔晄炉爆破はその典型だよね。物語の終盤でミッドガルの幹部であるリースが魔晄炉爆破により多くの市民が犠牲になった事についてバレットを責めますが、深く追求されるとプレイヤーも後味が悪いのでティファが仲裁に入り、事なかれにしたよね。

また製作者側もあえて単純な勧善懲悪にならないように意図して製作しています。

ドクターシドに関しては自身の野望や好奇心のために多くの犠牲者を出すも、最期は息子バルフレアの腕の中で光の粒子となり消え去るという感動的な場面となっています。(捉え方によっては彼もまた破魔石に憑りつかれた被害者の1人です。)

ヴェーネスにおいても最後までヴェインを見捨てず、むしろ新たな覇王となる責務を果たせなかったことを悔やむヴェインに対して、責務は果たされたと感謝の言葉を発するぐらい、強い信頼関係を見せつけてくれます。

オキューリアがラスボスでない展開に対してはファンの中でも二極化していますが、これまでのFFであれば「実はヴェーネスが他のオキューリアや人間に代わり自分が世界の覇王(神)を狙っておりヴェイン達の価値観を利用していた黒幕」等の理由づけをしてラスボスに抜擢したはずです。

ヴェインにおいても2か国の侵略の他に冷酷非道な場面も描かれておりFFTのベオルブ家の長兄ダイスダークのような悪役にすることも可能であったが、シドやヴェーネスとの信頼関係、弟ラーサーへの想い、国にソリドール家に対する強い責務から、完全な悪役とは言えなかったです。(実際にEDでヴェインの死は「名誉の戦死」として扱われました。)

ヴェインについては葛藤を全面に出しすぎるとプレイヤーが倒した後の後味が悪くなるため、あえて葛藤の場面は少なくしたみたいだよ。

この時代のゲームはまだ「勧善懲悪」を求めているプレイヤーが多かったため、善悪が曖昧であった本作品は賛否両論の要因となりました。

勧善懲悪と割り切れないラスボスとしてドラクエ4のピサロが挙げられますが、リメイク版では追加イベントを用いて勧善懲悪(実はピサロを陥れた黒幕がいた)に修正されています。

これもプレイヤーから「後味が良くない」という声が多かったからでしょう。

スクウェアの勧善懲悪でない作品としてはライブ・ア・ライブのラスボスが挙げられますが、王道を大きく外したその内容に当時のプレイヤーは大きな衝撃を受けました。

ストーリー構成

これまでのFFはメインストーリーにおまけのサブイベントであったが、本作品の構成は大きく変動して、モブ討伐等のサブイベントが非常に多く、序盤から寄り道可能な構成となっています。

またメインストーリーは前述した通り、プレイヤーに委ねる部分が多いことから、寄り道せずにメインストーリーだけを淡々と進めていくと、物足りないストーリーになってしまいます。

これまでのFFがメインストーリーに注力していたのに対し本作品はサブイベントにも注力しているためメインストーリーだけで過去作品と比較すると低評価に繋がりやすいです。

サブイベントが豊富なため、寄り道ばかりしてメインストーリーの内容を忘れるプレイヤーも多かったのでは!?
モブ討伐におけるモブの戦闘能力はラスボスを圧倒的に凌ぐ強敵が多く、正直ストーリーより、これらの強敵との闘いの方が記憶に残っているよ。

本作品は「ストーリーをただ追うのではなく、モブ退治など寄り道を遊ばないと真に楽しめない」と言われているみたいですが、サブイベントを楽しむことに比重をおいたゲームは日本では少ないため、賛否両論となるのは仕方ありません。

まとめ

大変長くなってしまいましたが、まとめると以下の通りです。

①ストーリーも戦闘システムもプレイヤーに大きく委ねている。

革新派からは「プレイヤーを信頼し尊重してくれるゲーム」と高評価であった一方、製作側があらかじめ引いたレールの上を歩くことに慣れた保守派からは低評価となった。

②ストーリー、戦闘システム、主人公を含むキャラ設定や配置など多くの点で従来のナンバリングタイトルとは全く異なる方向の作品であった。

広い層に遊ばれることが明確なシリーズにも関わらず、誰が遊ぶのかという認識が甘く、自分たちが作りたいゲームに没頭してしまい、結果として受入口を自ら狭めてしまったため低評価となった。
余談だけど日本の家電製品も顧客の求めることより、技術者が取組(具現化・表現)したいことを優先しているため、技術面では劣るが顧客の需要を押さえた海外の家電に遅れを取っているよね。

本作品のテーマは「自由と義務であり主人公一同は「自由」を求めますが、これはゲームの中身に限らず、製作者側やプレイヤーにとっても「自由」であり、これまでのFFはこうでなければいけない」といった「義務」から解放された作品と言っても良いでしょう。

しかし義務や価値観に縛られたプレイヤーにとっては、この「自由を受け入れることが難しかったのではないかと思います。

また製作者側もFFは万人受けしなければならない「義務」から脱却して、プレイヤーを選ぶ作品にしたことが賛否両論となる大きな要因だと思われます。

FF12は賛否両論が激しい作品ですが、世界観の独創性、ストーリー、キャラクターの作り込み、やり込みなど大変凝った名作であるため、発売当時に低評価した方にも今一度、FF12の面白さを味わってほしいと思ってます。

※リマスター版では無印版の欠点であったキャラの汎用化や倍速モード等、システム面で改善が施されています。

駄文をここまで読んで頂きありがとうございました。




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