FF12は名作と呼ばれたFF10と同じPS2で、2006年に発売しました。
1年後の2007年にはジョブシステム等を追加した「FF12インターナショナルゾディアックジョブシステム」が発売しましたが、その後はしばらく音沙汰がありませんでした。
しかし、2017年にリマスター作品としてPS4で「FF12ザ ゾディアック エイジ 」が発売となり翌年にはPCでも発売。
さらに2019年4月にswitchやXboxでも「FF12ザ ゾディアック エイジ 」が発売となりました。
一見するとヒット作であったことから、リマスターとして各ハードで発売した感じに見受けられますが当初はかなり低評価でした。
低評価であった理由は以下4つ。
- 主人公の存在が薄い
- ストーリーが難しい
- 戦闘システムが複雑
- 過去作品の呪縛
順番に解説していきます。
FF12の低評価要因①:主人公の存在が薄い
公式画像でも主人公の存在感が薄いですね。
FF12の主人公ヴァンはとにかく存在感がなく、主人公としての見せどころは他のキャラにことこどく持っていかれました。
ストーリーとしての存在感のなさ
FFと言えば、主人公を中心にストーリーが構成されているのが特徴。
しかし、FF12の物語はアーシェを軸としており、肉付けとしてガブラスと因縁があるバッシュ、後半の敵のキーファクターとも言えるドクター・シドの息子のバルフレアが挙げらます。
主人公であるヴァンは物語のキーファクターとは言えず、完全に物語の外側の配役です。
確かにヴァンも兄の死を憎む時期はありましたが、アーシェと違い早い段階で死と向き合ってしまったため、夫の死の葛藤に苦しむアーシェと比較すると、どうしても印象が薄いです。
また、これまでの主人公のようなリーダーシップを発揮することもなく、主人公がいなくても物語が完結してしまう感じでした。
FF12は政治や戦争がメインのため、一個人がストーリーに大きく関与するのは難しいですが、FFTのラムザのように物語の表舞台は他のキャラに任せ、裏では主人公に活躍してほしかったです。
戦闘面における存在感のなさ
FFの主人公といえば、戦闘面でも補正が入っていることが多いです。
しかし、FF12の主人公おいては、テータス面では若干の優遇はあるが、平均以上のステータスというだけ・・・。
FF7のクラウドの「超級武神覇斬」や、FF8のスコールの「エンドオブハート」のような、他キャラを凌駕する派手な必殺技もありません。
また、主人公は空賊を目指していることから、ジョブ的には盗賊が主人公のFF9のジタンと似た位置になりますが、FF9ではボスが良質な武具を所持していたため、主人公専用アビリティである「盗む」が必須化されており、主人公専用スキルの活躍の場は多いにありました。
FF5のバッツは主人公専用ジョブ・専用装備・専用技はなかったですが、ストーリー面では「暁の戦士」の息子という血筋やリーダーシップを発揮していたため、主人公としての存在感は強かったです。
主人公であるなら、戦闘かストーリーのどちらかで活躍しないと、存在感が薄いと言われても仕方ありません。
主人公の存在感を上げる敵やライバルがいない
存在感が強い主人公の近くには、存在感を上げるキャラがいることが多いです。
FF7ならばセフィロス、ティファ、エアリス当たりでしょうか。
また、FFTのラムザのように主人公が世間知らずの未熟者であっても、主人公の周り(敵役含む)のキャラと密接に関わることにより、主人公の存在感を増すことはできます。
FFTにおいては、現実主義のガフガリオン、理想に燃え現実を知ったウィーグラフと密接に関わったことによって、主人公は見事に熟したよね。
しかし、FF12の主人公の存在感を上げてくれる敵やライバルは・・・
兄を死に追いやった要因であるガブラスという敵はいましたが、ガブラスはバッシュやアーシェの方が関係性が強く、主人公と関わる場面はほぼ皆無でした。
物語終盤の大灯台でのヴァンとガブラスのやり取りも、レダスとガブラスのやり取り同様に、アーシェの決断(繭の破壊)材料の1つにされてしまったうえに、ガブラスとの最終決戦でもバッシュ加入時にのみ専用のカットシーンが用意される形となっています。
後半の重要人物となるドクター・シドにおいても、対するは当然ながら息子であるバルフレアとなるため、主人公の存在感を上げてくれる敵キャラやライバルは現れていません。
主人公が自ら光を放てず、光を射してくれるキャラもいなければ、主人公の存在が目立たないのは当然です。
FF12の低評価要因②:ストーリーが難しい
FF12は上辺だけのストーリーだと、物足りないストーリーに陥ります。
しかし、深い部分まで知ると、実はかなり濃厚なストーリーだとわかります。
FF12が最も低評価されたのが「ストーリー」ですが、同時に最も再評価されたのも「ストーリー」なのです。
子供向けではない!
FF12のテーマは「自由と義務」ですが、義務(責務)に対する苦悩が描かれている場面が多く、組織等に属した人や社会に出た人には共感しやすいのですが、子どもには共感しにくいです。
味方キャラでは、アーシェが「責務」に一番悩まされます。
帝国への復讐という個人の強い想いに対し、国家再建という大きな「責務」。
帝国のラーサーからの「友好」による解決策も、当初は個人の復讐の想いが先行して躊躇う場面もありました。
頭ではわかっているのよ。
今のところ大戦を防げる唯一の手段だわ。
でも私に力があれば、そんな屈辱!
そんなアーシェに、バッシュが「責務」について語ります。
人々を戦乱から守れるのであれば、どのような恥であろうと、甘んじて背負います。
国を守れなかった、その恥に比べれば・・・・
ここで、バッシュが一番伝えたかったことは「王女としての責務とは何か」でしょう。
一方、敵キャラではガブラスが「責務」に一番悩まされています。
悩みすぎて最後には暴走してしまう、不遇なキャラでもあります。
その暴走に真っ向から受け止めるバッシュも、ガブラスに対する「責務」を感じていたのでしょう。
ラーサーを守るために、ヴェインに同志(ジャッジ・ドレイス)の処刑を強要された場面は、まさに「責務」の象徴とも言えます。
ここでのポイントは、同じ「責務」でもアーシェは組織の長として、ガブラスは組織の中間管理職と異なった立場での「責務」を苦悩として表現していること。
これまでのFFは「自由」を表現していたのに、突然「責務」を表現されたら戸惑うのは当然です。
まして、異なる立場での「責務ゆえの苦悩」を表現されても、「義務」の実感が、あまりない子どもには響きません!
「義務」という重いテーマは、良くも悪くもプレイヤーの生活環境に左右されやすい内容であり、ストーリーを難しく感じさせているわけです。
敵キャラが多様に描かれ過ぎている
FF12は味方キャラはもちろん、敵キャラの価値観や行動理念も多様に描かれています。
しかし、価値観や行動理念が多様に描かれることにより、ストーリーが深くなる半面、各キャラの性格や考えを把握していないと言動や行動に共感できず、面白さが半減するリスクがあります。
敵キャラの価値観や行動理念が多様に描かれていた場面として、敵側である帝国の「皇帝グラミス殺害」の場面が印象的です。
グラミス皇帝が暗殺(毒殺)された事件。
犯人は、皇帝やその息子であるヴェインらソリドール家の対抗勢力である元老院のグレゴロス議長で皇帝暗殺後に自害。
元老院の大半が共犯者とされ一斉に逮捕。
この事態で議会権限が停止され、ヴェインは公安総局により臨時独裁官に任命され就任。
これは茶番だと糾弾して、ヴェインに刃を向けたジャッジ・ドレイスは、公安総局に背いた罪で、ジャッジ・ガブラスの手により処刑された。
これが、実際にムービーとして流れる「皇帝グラミス殺害」の一連である。
ストーリーを流し読みしていると、ヴェインが元老院を排除する(殺害の罪をなすりつける)ために皇帝を殺害したように見受けられる。
しかし、事実は大きく異なります。
ドレイスはヴェインが権力を掌握するために皇帝を殺害したと思い込んでいましたが、事実は殺害でなく自害。
皇帝は三男ヴェインを危険視していましたが、それ以上にヴェインを排除し四男ラーサーを皇帝に祭り上げ、その後ろ盾で権力を牛耳ろうと企てていた元老院も危険視していたため、自らの命を持って元老院を排除したわけです。
ヴェインも父グラミスも「すべてはソリドール(家)のために」という同じ理念を掲げていることを知らないと、この場面では殺害と勘違いします。
また、ドレイスはヴェインが弟のラーサーも始末するのでないかと心配していましたが、ヴェインは物語を通じて一貫してラーサーを信頼しており、ラーサーのために汚れ仕事を担い、最終的にはラーサーに帝位を譲る考えだった様子。
ドレイスから見れば、兄2人と父に手をかけたのだから、次は弟の番と考えるのは当然です。
一見、冷酷であるヴェインだが、実は2つの行動理念に基づいて行動していました。
- すべてはソリドールのために
- 歴史を人間の手に取り戻す
「歴史を人間の手に取り戻す」ためには、シドやヴェーネスと共に自身が帝国の先陣に立つ必要があるため、自身を指揮官から追いやろうと企てている元老院は、ヴェインにとって邪魔な存在でしかありません。
そのため、余命が限られたグラミス皇帝に、自害を提案して「すべてはソリドールのために」の理念のもと、グラミスは提案(自身の自害)を受け入れたわけです。
ヴェインは敵ながら、「ソリドール家の存続」「歴史を人間の手に取り戻す」の2つの行動理念があったため、キーファクターながら掴み難いキャラになりました。
「皇帝グラミス殺害」のイベントにいた、4人のジャッジマスターも多様に描かれています。
ジャッジ・ガブラスやジャッジ・ドレイスはラーサー派であり、ラーサーは元老院の人形で終わる人物ではないと確信する一方、人形にならないと分かれば元老院は手のひらを返してラーサーを潰してくると心配しています。
ジャッジ・ベルガは「力こそ正義」と考えており、ヴェインを崇拝し、ヴェインの行動原理の1つである「歴史を人間の手に取り戻す」ことにも共感しています。
ジャッジ・ザルガバースは、この件が茶番だと知りつつも、帝国を守るためにはヴェインの力は必要だとドレイスをなだめる一方、ドレイスの処刑を命じたヴェインに対し、声を荒げ穏便な処断を要求したりと中立的な立場です。(ヴェイン派でもラーサー派でもない。)
このように、敵側だけ見ても、キャラの価値観や行動理念が多様に描かれている・・・
否!!描かれ過ぎているので、キャラをしっかり理解しないと、物語の表面部分しか読み取れず、面白味に欠けてしまうわけです。
そして、キャラの理解を疎かにするとセリフの意味が分からなくなり、ストーリーが難しく感じてしまうのです。
ストーリーを把握する前提が多すぎる
FF12は、主人公ヴァンを操作するまでのオープニングの背景(各国の力関係、事実関係、対人関係)をしっかり理解しておかないと、作中のイベントが理解しづらいです。
また、作中の主要キャラも前提知識を理解しているうえで会話を行うため、前提知識がないと点と点が結びつかず、うやむやのまま物語が進み、悪循環に陥ります。
ここで問題とされるのが、この前提知識の量!
正直、アルティマニアがないと、1周目からしっかり理解するのは難しい。
これまでのFFは、ストーリーの前提知識が乏しくても、普通にゲームを進めていけば、ある程度は理解できましたが、FF12では前提知識がないままゲームを進めていくと、理解どころか余計にストーリーが分からなくなります!
ストーリーが分からなくなると、濃厚なストーリーの流れがおつかいイベントの連続になるのでストーリーにおいて面白味を失います。
したがって、サガフロ2同様に本作品のストーリーを深く知るために、シナリオ用のアルティマニアが必須なわけです。
考察ありきのストーリー
プレイヤーにストーリーを投げっぱなしにしている部分が多く、普通にプレイしているだけではストーリーが分かりにくいゲーム・・・と言えば、河津秋敏が携わったサガフロンティア2が僕の中であまりに有名。
FF12のプロデューサーはFFTやタクティクスオウガを製作した松野泰己でしたが、諸事情により河津秋敏に変更となりサガフロ2同様にプレイヤーに考察を求める(残す)作品と化しました。
余談ですが、サガフロ2も当初は「プレイヤーに考察を求めるストーリー」として低評価を受けましたが、時間と共に評価を上げた作品です。
FF12も同じ轍を踏んでることから、これも河津のサガなのかもしれません。
序盤、プレイヤーに考察を求めている場面は2つ。
ビュエルバの統治者オンドール候は、なぜバッシュの死亡という「偽りの情報」を発表してしまったのか。
また、それは帝国(ヴェイン)にとって、どのような利があったのか。
ガブラスがヴェインにビュエルバの反帝国組織とオンドール侯は、裏で結託している疑惑があることから「オンドールを押さえるべき」と提示するも、ヴェインはなぜ実力行使をしなかったか。
これらの真相は物語の中で全て語られず、プレイヤーが物語の中で得た知識やストーリーの流れから考察することになります。
そして、厄介なことに製作者側は考察を前提でシナリオを製作しているため、考察を疎かにすると真意がわからず、ただのおつかいゲームとなります。
上記ストーリーの要約は以下の通り。
アーシェが帝国に身柄を拘束された際に、バッシュ一同は過去に自身の死亡を発表したオンドール侯の元に向かい、アーシェ奪還の手助けを求めます。
「バッシュ死亡」を発表したオンドールは、バッシュの生存そのものが「弱み」であることに気が付きます。
しかし、オンドールは「あえて敵陣に飛び込めば、貴公は本懐を遂げるはずだ」というセリフを放ち、表情でバッシュの覚悟を確認した後に、一同を侵略者として拘束してバッシュ一同を帝国に引き渡すという形で要望に応じます。
バルフレアは、その真意に気づき「オイオイ、俺たちを巻き込むなよ」という顔でバッシュに訴えますが、主人公ヴァンは侵略者として連行された真意が理解できていません。
考察せずに物語を進めると、ヴァン同様にオンドールの真意が理解できず、わけもわからず帝国の戦艦に連行され、なんとなく物事がうまく進みアーシェを奪還できた感じになります。
しかし、考察してゲームを進めると、ヴェインはオンドールの「弱み」を作るために、あえて「バッシュ死亡」の発表をオンドールにするように圧力をかけ、オンドールは不信ながらも、ヴェインの狙いまでは気づけず、また帝国との関係を保つためにやむを得ず発表。
ヴェインの狙いは、いざというときはバッシュの生存事実を表に出し、反乱軍に不信感を与えることだったのです。
これが「考察①」の答えです。
バッシュの生存を知ったオンドールは、「ジャッジ・ギースにバッシュの身柄を引き渡す」という内容の手紙をヴェインに送ります。
この手紙の真意は、ヴェインの狙いを知った脅しのメッセージでもありました。
ヴェインにとって、オンドールにバッシュの生存を知られたことは想定外でした。
そして、オンドールの目論見通り、ヴェインはガブラスの実力行使の提示を却下します。
本当の狙いを知られたヴェインは実力行使をしなかったのでなく、できなかったのです。
これが「考察②」の答えです。
「あえて敵陣に飛び込めば、貴公は本懐を遂げるはずだ」の言動の裏には、中立国としての立場を守りつつバッシュの要望にも応え、ヴェイン(帝国)に牽制も図るという真意があったわけです。
少し嫌な見方をすると、仮にバッシュが奪還に失敗して処刑されても、バッシュの死亡を発表したオンドールにとっては、むしろ好都合でもありました。
FF12では「考察」をプレイヤーに求めており、「考察」の有無で物語の見方が大きく変わります!
さらに付け加えるとしたら、大人向けのストーリーであるFFTも、序盤の王女誘拐や公爵誘拐等、考察を求める部分は多かったです。
しかしながら、FFTではプレイヤーに真意を理解してもらえるよう、ディーリータやウィーグラフが主人公ラムザを通じて、プレイヤーに真相や目的を説明している場面が見受けられました。
FF12もFFT同様にバルフレアやバッシュがヴァンを通じて真相や狙いを物語のセリフに組み込めば、もう少しストーリーの真意を多くのプレイヤーに理解してもらえたでしょう。
プレイヤーに真意を理解してもらえるよう一定の配慮がなければ、「考察ありきのストーリー」と言われても仕方ありません!
また「考察ありきのストーリー」は、受け身のストーリーでなくなるため、難しく感じるのは当然です。
FF12の低評価要因③:戦闘システムが複雑
FF12と言えば、ライセンスと並び、戦闘システムの要となる「ガンビットシステム」がありました。
しかし「ガンビットシステム」は斬新であったため、複雑に感じたプレイヤーも多かったのではないでしょうか。
ガンビットシステム
「ガンビットシステム」は簡単に言ってしまうと、AIの設定をプレイヤーに委ねるものです。
- 味方のHP○○%以下になったらケアル
- 一番近い敵に物理攻撃
- 氷に弱い敵にブリザガ
これらの命令文を、優先順位を設定して組み立てます。
ドラクエのAIや聖剣伝説2・3の操作以外のキャラの行動パターン設定をより細分化したもので、自由な組み立ができる反面、責任は全てプレイヤーに帰属します!
ドラクエならば、AIキャラがボス相手に回復呪文より即死呪文を優先させたからゲームオーバーになった場合、AIに責任転換できますが「ガンビットシステム」では責任転換はできません!
どのようなタイミングで回復呪文を優先させるか、事細かな命令文をプレイヤーが設定するからです。
この「ガンビットシステム」は、プログラミングのような論理的思考が問われ、これまでのFFの戦闘システムと比較すると非常に奥が深いです。
しかしながら、采配をプレイヤーに大きく委ねられることから、活かすも殺すもプレイヤー次第のシステムとも言えます。
また、これまでのFFと違い、この斬新なシステムを活かさなくても(ガンビットシステムをOFFにしても)、クリアは可能であるため、より一層、活かすプレイヤーと殺すプレイヤーが二極化しました。
ガンビットシステムを活かさなくてもクリアできるのは、製作者側が複雑で理解に苦しむプレイヤーを見越していたからでしょう。
「ガンビットシステム」はこれまでのFFの中で、プレイヤーによって最も差が出るシステムでした。
FF12の低評価要因④:過去作品の呪縛
F12はFFのナンバリング作品であるため、当然ながらプレイヤーの大半は過去のFFを経験しています。
プレイヤー層もFF1から経験しているコアプレイヤーもいれば、有名なFF10からFFを始めたライトプレイヤーと様々でしょう。
当然ながら、FF12の評価はナンバリング作品である以上、絶対評価でなく過去作品との相対評価となるため、斬新な要素を多く含めた(含め過ぎた)本作品の評価は、プレイヤーにとって賛否両論となるのは必然です。
ストーリーより戦闘重視
「FFといえばストーリー」と言い切ってしまう人は多いはず。
実際にFF10のストーリーは全RPGの中でも、最高傑作に分類されます。
しかしながら、本作品のプロデューサーは、FFTやタクティクスオウガを担当した松野やロマサガシリーズを担当した河野です。
2人の共通点として、ストーリーより戦闘面(システムや、やり込み等)で、評価されている作品が多いことです。
代表作のロマサガ2なんて完全に戦闘システムに特化したゲームです。
ロマサガ2では、キャラなどラスボスに対抗できる屈強なメンバーを作るためのコマでしかなかったです。
そんな2人によって製作されたFF12は、やはりストーリーより戦闘に特化している部分が目立ちます。
ガンビットシステム等の戦闘システムはもちろん、ラスボスを凌ぐ敵の多さやレアアイテム収集など戦闘におけるやり込み要素も圧倒的で、やり込みプレイヤーが続出するロマサガシリーズと肩を並べています。
バランス的には、これまでがストーリー:戦闘を「5:5」とすると本作品は「3:7」ぐらいです。
それでも、FF12のストーリーは前述の通り奥深く、高い評価を得てもおかしくのですが、FFシリーズはもちろん全RPGの中でもストーリー部門で最高傑作の分類に入る「FF10」と比較されると、戦闘に趣を置いたFF12は相対評価により低評価に繋がりやすいです。
また、FF10から始めたライトプレイヤーには戦闘に特化したFF12はハードルが高かったはずです。
システムの根本部分の撤廃
これまでのFFでは、世界全体を舞台に旅をして、フィールドには街やダンジョンが設定されていました。
ダンジョンではランダムエンカウントが採用され、敵を倒すと経験値の他にお金がもらえました。
召喚獣では、おなじみのイフリート、シヴァ、バハムートなどが用意されていました。
しかし、FF12では大幅な変更となります。
- 世界の一部が舞台。
- フィールドは撤廃され、聖剣伝説のようにダンジョンや街が繋がっている。
- RPGの定番とも言えるランダムエンカウントを撤廃して、敵を可視化できる仕組み。
- フィールドと戦闘が一体化したシームレスタイプのバトルシステム。
- 敵を倒してもお金は貰えず、敵が落とした道具を売却することでお金を得る仕組み。
- 召喚獣の名前は、FFTのボスであったルカヴィや従来のFFのラスボスの名前。
この根本部分の撤廃の背景には、「これまでとは違う新しいFFの製作」が徹底されていたからです。
しかしながら、ナンバリングタイトルである以上、根本があまりに異なれば「これはFFではない!」と拒絶反応が出るのは必然であり、結果として賛否両論の主要因の1つとなります。
FFを期待するプレイヤーにFFでない作品を提供すれば、たとえ作品自体が名作でも評価は落ちます。
飲食で例えるなら、ラーメンの「量」を期待する客に「味」で勝負するようなものです。
提供側が顧客のニーズに合ったサービスを提供しなければ、不満が出るのは当然です!
単純な勧善懲悪の話ではない
FF12は味方キャラはもちろん、敵キャラにも様々な価値観が描かれており、これまでの作品のような「帝国=悪」「世界を滅ぼす悪い敵」と言った分かりやすい構造ではありません。
そのため、悪い敵を成敗して世界を救うことに趣を置くプレイヤーにとって、FF12は消化不良に悩まされます。
例えば、敵側であるヴェインやシドにおいても、お互いに強い信頼関係を築いているうえに「歴史を人間の手に取り戻す」という、RPGの主人公側のテーマになりそうな信念も共有しています。
また、ストーリーを追及していくと、実はヴェイン達の行動の方が「人類にとって正しかったのではないか」という意見すら散見されます。
FF12の話を要約すると以下の通り。
神に近い種族「オキューリア」は、自分たちが認めた人間に、「破魔石」という強力な力を持つ魔石を与えることで、イヴァリースを管理していました。
しかし、「オキューリア」の異端児であるヴェーネスは、オキューリアには歴史を導く資格などないと考え、ヴェイン、シドに破魔石の秘密を教えました。
秘密を知ったシドは、オキューリアに管理されていた事実に嘆き、「歴史を人間の手に取り戻す」ことを誓います。
そして、シドは破魔石を入手(製造)するために、新たな覇王となるヴェインと共謀して、ナブラディア、そしてアーシェの祖国であるダルマスカを侵略します。(侵略の目的は破魔石だけでなく、ロザリアとの大戦準備もあります。)
その「歴史を人間の手に取り戻す」過程で、アーシェの祖国を侵略した結果、アーシェや主人公のような帝国に復讐を持つ者や、バルフレアのような因縁を持つ者が現れる筋書きです。
目的(破魔石)のためにナブラディアやダルマスカで犠牲者を出したことに対しては「悪」かもしれませんが、目的を果たすために相手側に犠牲者が出ることは一般のゲームでも良く出てくる話。
FF7序盤のミッドガルの魔晄炉爆破は、その典型ですよね。
物語の終盤でミッドガルの幹部であるリースが魔晄炉爆破により、多くの市民が犠牲になった事についてバレットを責めますが、深く追求されるとプレイヤーも後味が悪いので、ティファが仲裁に入り事なかれにしました。
また、FF12の特徴として、あえて単純な勧善懲悪にならないよう、意図して製作している部分も見受けられます。
ドクターシドに関しては、自身の野望や好奇心のために多くの犠牲者を出すも、最期は息子バルフレアの腕の中で光の粒子となり消え去るという感動的な場面となっています。
バルフレアのセリフから、捉え方によっては彼もまた破魔石に憑りつかれた被害者の1人です。
ヴェーネスにおいても、最後までヴェインを見捨てず、むしろ新たな覇王となる責務を果たせなかったことを悔やむヴェインに対して「責務は果たされた」と感謝の言葉を発するぐらい強い信頼関係を見せつけてくれます。
ヴェインにおいても、2か国の侵略の他に冷酷非道な場面も描かれており、FFTのベオルブ家の長兄ダイスダークのような「悪役」にすることも可能でしたが、シドやヴェーネスとの信頼関係、弟ラーサーへの想い、ソリドール家に対する強い責務から、完全な「悪役」とは断定できませんでした。
エンディングでラスボスであるヴェインの死が「名誉の戦死」として扱われているのも、これまでのFFから見れば異例の措置。
製作者の話によると、ヴェインについては葛藤を全面に出しすぎるとプレイヤーが倒した後の後味が悪くなるため、あえて葛藤の場面は少なくしたみたいです。
言われてみれば、ヴェインの苦悩の場面は、後ろ向きや首から下しか映っていなかったことが多かったです。
ゲーム発売当時は「勧善懲悪」を求めているプレイヤーが多かったため、結果として賛否両論の主要因の1つとなりました。
勧善懲悪と割り切れないラスボスとして、ドラクエ4のピサロが有名ですが、リメイク版では追加イベントを用いて勧善懲悪(ピサロを陥れた黒幕を、ピサロと共闘として撃破)に修正されています。
この追加イベントも、プレイヤーから「後味が良くない」という声が多かったからでしょう。
スクウェアの勧善懲悪でない作品としては、ライブ・ア・ライブのラスボスが挙げられます。
王道を大きく外したライブ・ア・ライブに、当時のプレイヤーは大きな衝撃を受けました。
ストーリー構成
これまでのFFは「メインストーリーとおまけのサブイベント」の構成でしたが、本作品の構成は大きく変動し、モブ討伐等のサブイベントが非常に多く、序盤から寄り道可能な構成となっています。
サブイベントが豊富なため、寄り道ばかりしてメインストーリーの内容を忘れるプレイヤーも多かったでしょう。
これまでのFFがメインストーリーに注力していたのに対し、FF12はサブイベントにも注力しているため、メインストーリーだけで過去作品と比較すると低評価に繋がりやすいです。
FF12低評価された要因まとめ
大変長くなってしまいましたが、まとめると以下の通りです。
- ストーリーも戦闘システムもプレイヤーに大きく委ねていることから、革新派からは「プレイヤーを信頼し尊重してくれるゲーム」と高評価であった。一方「製作側が、あらかじめ引いたレールの上を歩く」ことに慣れた保守派からは低評価となった。
- ストーリー、戦闘システム、主人公を含む、キャラ設定や配置など、多くの点で従来のナンバリングタイトルとは全く異なる方向の作品となったため、広い層に遊ばれることが明確なシリーズにも関わらず、誰が遊ぶのかという認識が甘く、自分たちが作りたいゲームに没頭してしまい、結果として受入口を自ら狭めてしまったため低評価となった。
最後になりますが、本作品のテーマは「自由と義務」であり、主人公一同は「自由」を求めます。
これはゲームの中身に限らず、製作者側やプレイヤーにとっても「自由」であり、これまでの「FFはこうでなければいけない!」といった「義務」から、解放された作品です。
しかし、義務や価値観に縛られたプレイヤーにとっては、この「自由」を受け入れることが難しかったわけです。
また、製作者側もFFは万人受けしなければならない「義務」から脱却して、「プレイヤーに選ばれる作品」でなく「プレイヤーを選ぶ作品」にしたことが、賛否両論の1番の要因となりました。
FF12は賛否両論が激しい作品ですが、世界観の独創性・ストーリー・キャラクターの作り込み・やり込みなど、大変凝った名作であるため、発売当時に低評価した方にも、今一度FF12の面白さを味わってほしいと思ってます。
リマスター版では、無印版の欠点であったキャラの汎用化や倍速モード等、システム面で大幅な改善が施されていますよ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
これからFF12をプレイするならば原作から大幅に改善されたリマスター版がおすすめです。switchとPS4で遊べます。
FF12は奥深いので攻略本もあったほうがおすすめ。リマスター版の攻略本もあります。
原作とリマスター版の違いについては、こちらの記事を参考にしてください。