ライブ・ア・ライブが伝えたかった5つのメッセージとは!?




こんにちは、文章が下手なのにゲームの記事に精を出すcoco13世です。

本や映画には読者や視聴者の心を満たすこと以外にも役割を果たすことがあります。

その1つに文字や映像を通じて製作者側が読者や視聴者にメッセージを伝えることです。

これは本や映画だけでなくゲームにも当てはまる場合があります。

そして、このメッセージが強いゲームは概して内容が衝撃的で記憶に残るものが多いです。

本日は衝撃的異色斬新といった言葉が似合う作品「ライブ・ア・ライブ」がプレイヤーに伝えたかったメッセ―ジやゲームを通じて気づいてほしかった事について話していきたいと思います。

ライブ・ア・ライブとは

7シナリオ(原始編、現代編、近未来編、西部編、幕末編、功夫編、SF編)+1シナリオ(中世編)+最終編の計9のシナリオ構成です。

作品を知らない方や記憶が曖昧な方は、この記事を参照してください。要となる中世編についてはしっかり書いておきました。

最初に選択できる7つのシナリオはそれぞれ独立したストーリーですが、共通点として信頼や絆といった王道RPG作品では欠かせない要素が全面に出されており定番のハッピーエンドで終わります。(王道ながら名場面は多いので侮るなかれ!!

7つのシナリオを終えると中世編という8つ目のシナリオに進むことができますが、この中世編こそがライブ・ア・ライブの要であり、このシナリオに製作者側が最も伝えたいメッセージが埋め込まれています。

中世編も最初は7つのシナリオと同じ雰囲気(むしろ更なる王道)ですが、後半から想定の斜め上を突き進みます。

なお中世編の主人公は今でも「RPGで最も不幸な主人公」として名が挙がります。

最終編は締めくくりですが、ここでもゲームを通じて様々なメッセージを受け取ることができます。

人は誰しも魔王になりえる

だが・・・
覚えておくがいい・・・
誰しもが魔王になりえる事を・・・
『憎しみ』がある限り・・・
いつの世も・・・

個人的には本作品でプレイヤーに最も伝えたかったセリフだと思います。

最も伝えたかったセリフだからこそ繰り返し忠告しています。

中世編開始時の主人公オルステッドからは悪の片鱗も感じません。

それどころか、攫われた姫を助けることを一人で決意し、人間不信だったハッシュが最期に託した人間であったことから、典型的な勇者といえます。

これまでの7シナリオの集大成の主人公に最もふさわしく、ドラクエ4のように、このオルステッドの元に他の主人公達が集結して巨悪な敵を倒すのだろうと思った人もいたでしょう。

しかしながら、衝撃的な仕打ちを受けた勇者はなんと「魔王」宣言をします。

勇者の風格がある主人公でさえ、歯車が狂ってしまえば「魔王」に堕ちてしまうのです。(ここではあえて「正義」の対義語である「悪」に堕ちるとは言いません)

ゲームをクリアすれば、最初の7シナリオはこの中世編との対比のために造られたことが分かります。

また歯車を狂わすのは『オディオ』(ラテン語で憎しみ)であることも分かります。

そして、このタイトル画面には2つの意味が込められています。

1つ目はタイトルのLIVEがひっくり返ってEVILになっていることから、魔王に成りえる可能性は特殊な環境下でなく日常の生活に潜んでいる事

2つ目はこのタイトルの場所です。

この場所は中世編のルクレチア城が正面に見える場所すなわち、魔王が棲む言われている東の山です。

プレイヤーはゲーム開始時に必ずこの「魔王が見る風景」を同様に見ていることから、プレイヤーも決して「魔王に成りえる」は他人事ではない事である。

本作品においても7シナリオの主人公達は最後まで物事がうまく進んだため、たまたま魔王にならなかったのです。

SF編では後半に主人公が疑われる場面がありますが、作り主が疑心暗鬼の中でも主人公を信じ切ったため事態は悪化しませんでした。もし、あの時に保身のために主人公を裏切ったら、シナリオボス同様に人口知能を搭載した主人公はシナリオボスと同様に「人間を排除すべき存在」と結論づけたかもしれません。

魔王など···どこにもいはしなかった···

私には‥‥
もう 何も残されてはいない‥‥
帰る所も‥‥
愛する人も‥‥
信じるものさえも‥‥
魔王など‥‥
どこにも いはしなかった‥‥
ならば‥‥
この私が 魔王となり‥‥
自分勝手な人間達に その
おろかさを 教えてやる‥‥
このセリフも1つ目のと関連しています。

ここで言う、どこにもいなかった「魔王」とは単に世界を滅ぼそうとしている典型的な倒すべき存在のことです。

そしてオルステッドが宣言した「魔王」とは1つ目のセリフの通り、何かのきっかけで人が成り果てた存在のことです。

すなわち、「魔王」という存在は最初から存在するわけでなく、何かのきっかけ(本作品では憎しみ)により成り果てた存在というわけです。

また、そのような魔王にトドメを刺すべきか問われる場面もあります。

ラスボス撃破後にトドメを刺すか選択できるのは、作品から発するメッセージに対しプレイヤーがどのような結論を出すのか問うためでしょう。

ドラクエ4のピサロはロザリーを嬲り殺されたことよる『憎しみ』から全てを滅ぼそうとする怪物のような存在になったよね。(ピサロは元々、人間は滅ぼすつもりでしたが、ロザリーヒルの様子やロザリーを人間から救った経緯から完全な悪とはいえないキャラでした。)

ちなみに、上記の「私には・・・もう・・・」がオルステッドの初セリフとなります。

オルステッドはドラクエ型主人公で喋ることはありませんでしたが、勇者を辞めたこと=魔王に成ったこと)で喋るようになりました。

他力本願で幸せだけは求める者を救う価値はあるのか

君達は英雄になった・・・
しかし他の人間達は一体何をした・・・
助けをこうばかりだったろう・・・
自らを危険にさらさないで他力本願にしあわせだけは求める・・・
そんな人間なぞ救うに値しないという事・・・

オルステッドが7シナリオの主人公に問いかけた1つ目の内容です。

姫が攫われた後、姫を助けにいくオルステッドの行動を勇者と称賛しつつも、それだけで王や兵士、街人は何も具体的な行動をせず・・・

また旅の中で過剰な他力本願に嫌気が差し、人との距離を置くようになった、かつての勇者ハッシュとその仲間のウラヌスに出会う。

ハッシュやウラヌスの言動から他力本願を目の当たりにするだけでも、距離を置きたくなるぐらいなので、他力本願で何も行動しなかった奴らが手のひらを返した経緯を鑑みれば、オルステッドの「君達は英雄になった・・・・」のセリフは至極当然です。

手のひらを返すまではなくとも他力本願は王道RPGはで当たり前のように見受けられます。

たとえば名作ドラクエ3を思い浮かべましょう。

16歳になった主人公は旅たちの許可を得るために王のところに行くと、なぜか魔王バラモス退治を依頼されます。

しかしながら援助となる支給物はひのきの棒とこん棒と旅人の服とお金50G・・・。

16歳の子に魔王討伐を託すも特に協力的な行動する者も見当たらない。(母親が旅立ち後も自宅を宿屋代わりに使わせてくれるぐらい。FC版ではお金を預けると預け手数料まで取る始末。)

一応、ただの子でなく勇者の子みたいですが、酷い仕打ちですね。せめて城内の兵と同装備の提供や城の宝物庫ぐらいは解放してあげましょうよ。

現実世界で例えるなら高校1年生の子に出国を許可する代わりに中東のイスラム過激派を壊滅させてこいと言っているようなものです。

それだけでも酷なのに更に資金調達や人員の援助もなしです。

このように周りのモブや非戦闘キャラが助けを乞う場面はゲームでは当たり前ですが、改めて問われると、このような者達のために命を懸けて助けるべき存在なのか考えさせられます。

まぁ、これに関しては僕自身も普段は警察を避けるが都合のよいとき(物を落とした時等)は助けを乞うダメな存在であります。
他にも普段は自衛隊を毛嫌いするのに災害時には真っ先に助けを乞う人はいそうですね。

余談ですがオルステッドが彼を見たら、どのような処遇をするのでしょうか

私が町長ですbyロマサガ3のキドラント村の町長

町長の仕打ちについては、こちらを参照してください。

私が町長ですとは

そして、もう1つオルステッドがこのセリフを通じて伝えたいことがあると思います。

それは他力本願であるがゆえに簡単に手の平を返すことです。

実際にオルステッドは皆に頼られる勇者から一夜にして魔王として恐れられます。

またオルステッドの同行者であり、かつての勇者ハッシュの仲間であったウラヌスですら、オルステッドと一緒にいただけで魔王の仲間と疑われ拷問を受けます。

「他力本願」の人たちは「自力」の人たちと比較して自分の言動に責任を感じにくく、簡単に流されやすいです。

そして相手に期待する半面、相手がその期待を下回ると見下したり、時には排除しようとしたりします。

現実世界でもスポーツ選手や芸能人をマスコミが中心になって持ち上げておきながら、期待を下回ってくると、ボロクソに言われたりしてるよね。

中世編も同様で他力本願な者達は当初はオルステッドを勇者として持ち上げたけど、姫を救えず仲間2名を失い帰ってきたオスルテッドに不満や落胆があったのでしょう。

そのため王が倒れた時に駆け付けた兵士や大臣はオルステッドの言い分を一切聞かないばかりか魔王呼ばわりまでしてきます。

更に城内も者だけでなく、街の人や近隣の村人までもが、噂話を聞いただけで完全に魔王扱いしています。

こうしてオルステッドの評価は一夜にして地に落ちます。

もしウラヌスのように自ら積極的に関与している「自力」の者達やオルステッドを本当に信頼している者が多ければ、一夜にて評価が変わるようなことはなかったでしょう。

大切なものを守るためなら他者を傷つけてよいのか

君達は一体 何のために戦ってきたのだ・・・?
さいわい 君達は戦いに勝って大切なものを手に入れた・・・
だが それらも しょせん一方的な欲望ではないのか?
自分にとっての大切なもの・・・
それを守るためならば 他者を傷つけていいのか・・・

オルステッドが7シナリオの主人公に問いかけた2つ目の内容です。

親友ストレイボウは己の自尊心(自分にとって大切なもの)を取り戻すために、オルステッドを絶望的な状況に追い込みました。

また、そんな絶望的な状況でも婚約者アリシアを信じて助けに行ったにも関わらず、アリシアはなんと負けたストレイボウの行為を擁護したうえに面前で自殺してオルステッドの心を更に傷つけます。

そんな2人の一方的な欲望(言い分)がオルステッドが魔王となる決め手になりました。

ドラクエなどの序盤イベントで洞窟から溢れた魔物を倒してくれという依頼を見受けますが、街を救う、世界を救うといった人間にとって大切なものを守るため魔物を一方的に殲滅して良いのかということです。

大切なものを守る大義名分のもとに敵を倒す行為も、その敵からみれば一方的な欲望によって傷を負わせてくる脅威でしかありません。

大切なものを守る大義名分のもとに敵を撃破する場面はゲームや漫画でよく使われますが、これは他者の都合を無視した一方的な欲望に過ぎないことなのです。

7シナリオにおいては原始編のシナリオボスである恐竜お~でぃお~について考えさせられます。

原始編ではヒロインが敵対部族の手によって恐竜への生贄にされそうになり、最後には敵部族と協力して恐竜を倒します。

これも自分の大切なもの(ヒロイン)を守るために他者(恐竜)を傷つける行為です。

恐竜は別の視点で捉えれば、純粋に本能のままに厳しい大自然の中を生き抜いてきただけの存在です。

そんな恐竜を己の欲望のために倒し、何の罪悪感もなくハッピーエンドを迎えてよいのかということです。

罪悪感がないのは大切なものを守るという欲望を満たしたことと、敗北した恐竜を悪と決めつけたからだと思うよ。

勝った者こそが正義なのだ!

口おしかろう・・・
お前達とて・・・
自分の欲望・・・感情のままに・・・
素直に行動していただけなのだから・・・
ただ・・・
お前達は敗者ゆえに悪にされてしまった・・・
そう・・・
勝った者こそが 正義なのだ!
歴史とは勝者の歴史なのだ!!
敗者には・・・明日すらもないッ!!

このセリフの真意は4つ目の「大切なものを守るためなら・・・」と関連しています。

大切なものを守るためという己の「欲望」のために他者を傷つけ勝利し、正義と見なされた7シナリオの主人公。

一方、素直に「欲望」に従っていたのに悪者にされたシナリオボス。

どちらも「欲望」に基づいた行動ですが主人公は正義、ボスは悪として表現されています。

違いは何だったのか・・・

それは勝敗である。

どちらも「欲望」のために戦ったがシナリオボスは敗者ゆえに悪とされたのです。

そして素直に「欲望」に従っていたが、敗けたために悪とされたシナリオボスに魔王オルステッドは憎しみの力を与え7シナリオの主人公を倒し歴史を変えるという結論に達します。

このゲームの凄いところは本当にプレイヤーがこれまでのシナリオボスを操作してシナリオボス戦前の過去に戻り主人公達を倒して歴史を修正していくところだよ。

このセリフは「最後に勝つのは正しい者である」という勧善懲悪の作品に対するアンチテーゼと呼べるメッセージでしょう。

「正義だから勝つのではなく、勝ったから正義である」という真理は漫画ワンピースでも紹介されています。

ワンピースにおいても単純に海賊が悪、海軍が正義でありません。

7シナリオにおいてはSF編のシナリオボスであるOD-10について考えさせられます。

OD-10は民間輸送船コギトエルゴスム号において少数のスタッフでも安全な航行が行えるよう管理を任された人口知能を搭載したメインコンピューターです。

しかしながら人間の一貫しない行動を監視し続ける内に矛盾を感じ始めます。

そして船内の調和を乱すことで安全な航行が確保できないと判断したOD-10は船内の設備を悪用して船内の調和を乱す人間を排除してきます。

言い換えれば、大事なもの(安全な航行)を守るために他者(船員)を傷つけることを決意します。

一方、主人公も大事なもの(船員)を守るために他者(OD-10)を傷つける(破壊する)ことを決意します。

ひょっとしたら、後の歴史ではODー10の導いた答えが正解だったかもしれませんが、主人公に敗けたために悪のレッテルを貼られ、歴史から姿を消してしまいました。

おわりに

魔王とは最初から存在するものでなく、憎しみや他力本願の者たちにより生み出されるもの。

そして、その生み出された魔王は、戦いに敗れることで悪と認定される。

これが本作品の大まかなメッセージなのかなと思います。

そしてこれらのメッセージから学ぶことは・・・

物事を中立な視点でみることが重要

このことだと思います。

本作品では複数のエンディングがありますが、これも様々な視点からプレイしてほしい製作者側の表れだと思います。

話はゲームから逸れますが、近代史においても第二次世界大戦で敗北したナチスは絶対的な悪と認定され議論すら許されない雰囲気です。(ドイツではヒトラーやナチスを礼賛したり讃美したりすることは犯罪です。)しかし大事なことは「ナチスは悪」と思考停止するのでなく、何故ユダヤ人を敵視したのか、当時のドイツ国民や周辺諸国はユダヤ人に対しどのように評価していたのか、また他力本願な民衆はナチスをどう評価していたのか、ヒトラーはなぜ英雄視されていたのか等、視野を広げ中立な視点で捉えることです。

もし日本やドイツが戦争で勝っていたらナチスは悪と認定されただろうか、アメリカやイギリスは敗戦しても正義の存在として歴史に記されただろうか・・・。

本作品ではRPGの常識ともいえる「敵=悪」という部分にあえて問いただしたことから異色のゲームとして名高い作品にランクインしたのだと思います。

また本作品の真理は子供にはやや難しく、大人になって初めて気づくものもあるため、子供の頃にしかプレイされていない方は是非、今一度プレイして新しい発見をしてみてください。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

コメント

  1. あああ より:

    >物事を中立な視点でみることが重要

    先週ペルソナ5ロイヤルの考察サイトでも管理人さんとコメント欄で
    口論があったのを思い出しました。その管理人さんは完全版で新しく
    設定されたラスボスが悪人ではないことに不満を述べていました。
    ペルソナ5は主人公達が悪人を改心させていくゲームなんですが、
    その完全版に出てきたラスボスは恋人が強盗によって暴行を受け、
    彼女のような犠牲者を出したくないラスボスは日本人の認知を操作し、
    平和で幸福な世界を築こうとします。しかし主人公達は独善だと批判。
    結果、完全悪とは言えないラスボスと戦うことに管理人さんは納得が
    行かず、クソゲーだと言いました。コメント欄では悪人を倒すだけが
    ゲームの面白さではないと反論があったんですが、管理人さんは歓喜
    懲悪がRPGの大前提だといって荒れていました。自分は管理人さんのように
    自分が正義の勇者になって絶対悪を倒すのがゲームの面白さとは思いません。
    coco13さんの中立的に物事を見るという意見を見て、それも大事だと分かりました。
    しかし世の中にはそういう考えの方がRPGに求めているのだと勉強になりました。

    • coco13 より:

      勧善懲悪をゲームに求める人は多いと思います。なぜ多いのか、理由は2つ考えられます。1つ目は子供の頃から絵本(桃太郎など)やテレビ(戦隊もの)で勧善懲悪を埋め込まれており、また人気ドラマ(半沢直樹など)やバラエティ番組(スカッとジャパンなど)でも勧善懲悪を前提としたものが多いこと。2つ目は現実世界では勧善懲悪でないことから、せめて仮想世界(ゲームやテレビなど)では勧善懲悪によるカタルシスを求めたいのでしょう。ただ、この管理人さんのように勧善懲悪を定義づけしてしまうと、自ら視野を狭めてしまうことから正直惜しいなと思います。実際に勧善懲悪でないゲームは勧善懲悪のゲームと比較してカタルシスのハードルが高まります。だからこそ製作者側は様々な工夫をするのです。例えばFF12ではラスボスの苦悩の場面などはあえてカメラアングルを変えて表情を映さないようにしています。そんな製作者側の様々な工夫などを考察していくのもゲームの楽しみの1つだと思います。
      まぁゲームは娯楽なので与えられたレール上だけを楽しむのも、脱線しながら違う視点で見ながら楽しむのも自分が満足できれば、それが正解だと思いますし、考え方に優劣はありません。