本記事では、2006年の発売当初は低評価でしたが、時代と共に名誉を取り戻したファイナルファンタジー12の心に突き刺さる名言・名場面を紹介します。
FF12の名言・名場面は、場面の裏側を理解することによって、良さがより伝わってくるのが特徴なため、場面の裏側についても惜しむことなく解説していきます。
- 1 FF12名言・名場面①:ジャッジマスターを―甘く見るなっ!
- 2 FF12名言・名場面②:だからこそ―あがくのだ
- 3 FF12名言・名場面③:守りたいものほど守れはしない
- 4 FF12名言・名場面④:きみらにも王家に仕える苦労がわかったようだな
- 5 FF12名言・名場面⑤:この物語の主人公さ
- 6 FF12名言・名場面⑥:でもね、亡くなった人たちの心は、もう動かないんだよ。何があっても、何をしても
- 7 FF12名言・名場面⑦:ただ、自由でありたいだけ
- 8 FF12名言・名場面⑧:すべてはソリドールのために
- 9 FF12名言・名場面⑨:歴史を人間の手に取り戻す
- 10 FF12名言・名場面⑩:どうせ逃げるなら、逃げ切ってみせんか。馬鹿者めが
- 11 FF12名言・名場面まとめ
FF12名言・名場面①:ジャッジマスターを―甘く見るなっ!
レダス(ジャッジ・ゼクト)の最期のセリフ!
かつて首都ナブディスを一瞬にして焼き尽くした「破魔石」。
その「破魔石」の源である「天陽の繭」が、今まさに暴発しようとしていた。
暴発の威力はナブディスを壊滅した時の数千倍らしい!
大惨事を止めるため、アーシェとヴァンが覇王の剣と契約の剣を握り、繭に近づこうとしますが、繭から発する強烈なミストの風により、一歩踏み出すのも一苦労な2人。
そんな2人を止め、逃げることを促したのがレダス。
レダスは繭を破壊するために、一気に突き進み飛びかかる。
ヴァンが「レダス、無理だ―」と叫ぶが、レダスは「ジャッジマスターを甘く見るなっ!」と返し、天陽の繭を断ち切り、爆発と共に消え去った・・・
レダスは2年前のジャッジマスター時代に、自らが引き金となって、ナブディスを破魔石の力で崩壊させた過去があります。
ナブディス崩壊後は帝国を抜け、バーフォンハイムで空賊となりますが、ナブディスの一件は許されぬ心の縛鎖となっており、いつの日かナブディスに償いをしなればならないと考えていました。
そんな過去から、レダスは己の命と引き換えに繭を破壊!!
ナブディスの二の舞を防いだのであった!
最期に「ジャッジマスター」という言葉が出たのは、レダスは本作の作品のテーマである「自由と義務」の義務側のキャラです。
そして、レダスを縛る「義務」というのが「ナブディスへの償い」。
だからこそ、最期のセリフでジャッジマスターとしての最後の義務(ナブディスの償い)を果たすために、あえて「ジャッジマスター」という言葉を発したのです。
FF12はもちろんFFシリーズの中でも、その死に様はカッコよく、また切ない場面でもありました。
作中で戦うジャッジマスターは、風貌とは裏腹にどいつもこいつも弱かったのですが、レダスのおかげでジャッジマスターは強き存在だったと認識させられたプレイヤーは、僕だけではないはず!
FF12名言・名場面②:だからこそ―あがくのだ
戦艦シヴァ内で対峙する、同志ウォースラの「なぜだバッシュ、お前なら現実が見えるだろう」という問いに対する、バッシュの返しのセリフ!
ウォースラの言う「現実」とは、巨大戦艦を含む帝国の圧倒的な軍事力のこと。
ウォースラは戦争敗北後の2年間、ダルマスカ解放軍の将軍としてアーシェと共に抗ってきたが、帝国との力の差を痛感していました。
帝国と真っ向から挑むのは現実的でないと考えたウォースラは、ジャッジ・ギースとの密談の中で帝国に屈する選択を受け入れます。
勘違いしていけないのが、ウォースラが帝国に屈する選択を選んだのは、ダルマスカの未来を想ってのことであり己の保身や欲望ではないこと。
そのことはバッシュも理解しており、ウォースラ撃破後にフォローもしています。
だからこそ、ウォースラはバッシュに「お前なら現実が見えるだろう」と自身の選択の同意を求めてしまいますが、さすがはバッシュ元将軍!!
「だからこそ―あがくのだ」と躊躇なく言い切ります。
バッシュは二度祖国を滅ぼされており、帝国の力は十分に理解しています。
それでも帝国に屈しず、(アーシェの)義に愚直な言動が本当にカッコいいです。
ここで「戦う」や「立ち向かう」でなく「あがく」という言葉をチョイスしたのも良い!
「あがく」という言葉から、現実は相当厳しいものであると認識するも、最後まで諦めずに挑み続ける確固たる意志が伝わってきます。
FF12名言・名場面③:守りたいものほど守れはしない
ジャッジマスターのリーダー格であるジャッジ・ガブラスが、空中要塞バハムートでバッシュに向かって言ったセリフ。
大灯台でも「守るべきものほど守れずに失うとな!」と似たようなセリフを放ちます。
このセリフを理解するためには、ガブラスとバッシュの過去の背景を知っておく必要があります。
10年以上前、ガブラスとバッシュの兄弟は祖国ランディスを帝国に滅ぼされています。
その後のガブラスは母親を養うために帝国に流れ、未来を守るためには「力」が必要だと感じます。
そして、祖国を滅ぼした宿敵である「帝国」に仕え、ジャッジ・マスターまで登りつめます。
一方、バッシュは祖国ランディスを滅ぼされた後にダルマスカに流れ、ダルマスカもまた帝国に敗けてしまいます。
ガブラスのセリフである「守りたいものほど守れはしない」は「力無きものは守りたくても守れない」意味が含まれています。
そのため、大灯台にて「力があっても、過去は変わらない」と悟り、「力」の象徴である「破魔石」を砕く結論を出したアーシェに対し、「だが力なき者に未来はない。何者も守れはしない」と即座に反論します。
ガブラスは己の手を汚し罪を感じようが、「力」を手に入れることが「守る者の責務」だと認識しています。
また、ガブラスが自分自身のことを「野良犬同然」と発言したり、「故郷を滅ぼした帝国に、尻尾を振って仕えた報いだ」というセリフから、自身の罪も感じ取れます。
ガブラス自身は「力」のために、己の手を汚し、望まぬ罪を背負う人生を歩みました。
それにも関わらずバッシュは、祖国に続きダルマスカまでも守れなかったにのに、今もなお己の信念を貫き通そうとしており、バッシュの信念を認めることは、これまでの自分の人生の否定になります。
だからこそ、バッシュに対し激しい怒りを覚えたのです。
他にもガブラスの悲運として、同志ドレイスの粛清が挙げられます。(ガブラスとドレイスは共にラーサーを守ると堅く誓った仲)
ガブラスはグラミス皇帝の命令で、四男ラーサーの盾役の任務の他に三男ヴェインの監視を行っていましたが、グラミス皇帝死亡の際、ヴェインはガブラスに「主人を変えたいならジャッジマスターとしての責任を全うせよ」と命じます。
ジャッジマスターとしての責任とは、ヴェインに刃向かった同志ジャッジ・ドレイスの粛清。
ガブラスはラーサーの未来を守るため、苦汁の決断(自身の手でドレイス処刑)をさせられたのです。
また、大灯台ではガブラス自身の暴走により、シドに「ラーサーの護衛の任」を解かれ、守るべきものを失います。
このようにガブラスは、守るために「力」を手に入れたはずなのに、同志も守るべき存在も、手から離れ落ちてしまいます。
一方バッシュも、二度の帝国との敗戦で、「守りたいものほど守れはしない」ことを痛感していますが、それでも今も自分を見失わずアーシェを守るその姿に、ガブラスは疑問と怒りの感情が爆発し、「守りたいものほど守れはしない」とセリフを言い放ち最後の闘いに挑みます。
祖国を滅ぼされ、その後は別の道を歩むも、守るべきものために戦ってきた2人の兄弟。
この兄弟のやり取りは、FF12の中でも心に刺さる名場面でした。
また、ガブラスがセリフと共に剣を抜いた姿が、FF12のパッケージ画像であることも相まってカッコいい場面でもありました。
この名場面の「守りたいものほど守れはしない。違うか!」に対し、「お前の問いに答えるのが兄としてのつとめだな」と真っ向からガブラスの迷いや怒りを受け止めるバッシュも相変わらずカッコいいです。
製作者側もこのシーンに力を入れており、パッケージ画像の他に戦闘中にもカットシーンも導入していました。
FF12名言・名場面④:きみらにも王家に仕える苦労がわかったようだな
帝都に着いた際、パンネロとヴァンの会話のなかで、バッシュが割り込んで言ったセリフ。
パンネロが、自国の王女アーシェや皇帝候補のラーサーに会える機会なんて一生ないと思っていたという発言に対し、ヴァンが同意をしつつも「たまについてけないけど」と笑いながら返答。
そこに、すかさずバッシュがヴァンの肩に手を回し、ヴァンとパンネロに嬉しそうに「きみらにも王家に仕える苦労がわかったようだな」と言います。
パンネロが冗談ぽく「そんなこと言っていいんですか?」と返されると、困った顔でごまかすバッシュ。
そんな会話のやり取りを見て微笑むアーシェと、アーシェを後ろから眺めるバルフレアとフラン。
FF12は仲間同士が希薄であり、またストーリーも渋く、冗談を入れるシーンはヴァンの空気を読まない発言ぐらいであることを考慮すると、ヴァンやアーシェに激しく憎まれていたバッシュが作った、この和やかな場面は貴重です。
仲間同士でも、序盤はピリピリ(特にアーシェ)していたからこそ、冒険の中で仲良くなったことが伝わるこの場面は、何気ない場面にも関わらず、心に刺さる場面でもありました。
この頃にはバッシュの疑惑も完全に晴れ、ヴァンもアーシェもバッシュを仲間としてごく自然に認めている感じでした。
ところで、バッシュの和ませ発言は意外と本音だと思われます。
感情的になりやすいアーシェを支えるのは、並大抵ではないのがプレイの中から伝わってきます。
もしアーシェが会社の上司だったら、間違いなく飲み会の場で「きみらにもアーシェ部長の下で働く苦労がわかったようだな」と愚痴る自信があります。
2年共にしたウォースラは神です。
FF12名言・名場面⑤:この物語の主人公さ
ヴァンがバルフレアに「あんた誰だ」と聞いた際のバルフレアの回答。
当初は、よくいる主人公気取りのお調子者キャラと思いきや、物語を通じて名言やカッコいい場面を連発させてくれます。
エンディングでは、過去作品の主人公達にも負けないぐらい主人公を演じてくれます。
実は主人公の必要条件も下記の通り満たしているのです。
- 秘められた過去がある。
- 父が物語のキーパーソンである。
- ストーリーの核心部分に携わっている。
①はFF7の元ソルジャーのクラウドと似た境遇。
クラウドも秘められた過去がありましたが、バルフレアも実は帝国の重要人物であるドクターシドの三男であり、かつてはジャッジも務めていました。
②はFF5のバッツ、FF8のスコール、FF10のティータと似た境遇。
主人公の父は、味方サイドでも敵サイドでも物語に大きく関わっていることが多い。
バルフレアの父シドもFF12の重要人物の1人であり、最後には親子の感動場面も用意されています。
③はこれまでの主人公の要件の1つ。
FF12では「破魔石」に序盤から終盤まで振り回されますが、「破魔石」と関係性が強いのがアーシェとバルフレア。
他にも声優が、パイレーツオブカリビアンのジャックスパロウ役の方であることも相まって、更なる主人公補正が掛かります。
そういえばバルフレアとジャックスパロウ、どことなく似た雰囲気も感じるような・・・
一度でもFF12をプレイすれば、バルフレアの「この物語の主人公さ」のセリフが冗談でないことを感じます。
FF12名言・名場面⑥:でもね、亡くなった人たちの心は、もう動かないんだよ。何があっても、何をしても
一同は大灯台の最上階にある、天陽の繭を目指していた。
道中にヴァンが、アーシェが「破魔石」を使って帝国への復讐をするのかパンネロに問いかけ、問いに対するパンネロの回答が上記画像のセリフとなります。
パンネロもヴァンやアーシェ同様に戦争で大事な人を失くしていることから、復讐を願うアーシェの気持ちも分かっています。
しかし、ヴァンやアーシェと違い、パンネロは物語の最初から復讐に囚われていませんでした。
物語の中で「死者のための復讐」に対する答えを見つけたヴァンやアーシェに対し、パンネロは物語開始時から復讐に対する答えを見つけていたのです。
上記画像の場面の後にアーシェは、大灯台の最上階で復讐を誘う亡き夫の幻影に対し「あの人はもう─いないんだ」と言い、剣で幻影を断ち切ります。
ヴァンも、兄を死に追いやった張本人であるガブラスの「死んでいった者たちの恨みはどうなる!」のセリフに対し、「何も変わらないんだ、兄さんの恨みなんか晴れない」「兄さんはもうーいないんだ」と力強くガブラスの疑問に答えます。
大灯台では、最上階のイベントがメインキャラによる名シーンの連続であるため、このパンネロの名言は逃しやすいですが、「過去との決別」をテーマとしているFF12において、派手さはなくも心に突き刺さるセリフでした。
これまでの作品だと、死者が主人公達を導いたり背中を押してくれました。
FF12は「亡くなった人たちの心は、もう動かないんだよ。何があっても、何をしても。」のセリフから分かるとおり、非常に現実的で死者が奇跡や感動を起こす多くのゲームとは対照的でした。
「何があっても、何をしても。」と念押ししていることから、「死者の奇跡」を全否定した現実主義のセリフとも読み取れます。
「亡くなった人はこんな事望んでいない!」と言ったセリフをよく見かけますが、このセリフの真意は、生者やその周りが望む事をあたかも死者も望んでいると都合よく解釈しているのに過ぎないわけです。
FF12名言・名場面⑦:ただ、自由でありたいだけ
空中要塞バハムートで、ヴェインの問いに対しアーシェが発したセリフ。
FF12のメインテーマ「自由と義務」における、アーシェの最終結論とも言えるセリフです。
物語序盤からアーシェは、ダルマスカを滅ぼされた屈辱や亡くなった死者のために、自身に帝国への復讐を課せていました。
物語序盤では、破魔石による戦艦リヴァイアサンの惨劇が起き、その現場を目の当たりにしたにも関わらず「私の刃は破魔石です。死んでいった者のため 帝国に復讐を」とセリフを発するほど、復讐や力に執着していました。
また、物語後半でアーシェは、神に近い存在であるオキューリアから帝国を滅亡させ、正しき歴史を導く聖女としての役割も課せられます。
ヴェインは、そんなアーシェを知ったうえで「ひとつお尋ねしたい。」「あなたは何者だ?」「亡国の復讐者か?あるいは救国の聖女か?」と問います。
その問いに対するアーシェの答えが「どちらでもないわ。」「私は私──」「ただ、自由でありたいだけ。」
「死者のための復讐」や「正しき歴史を導く聖女」は与えられた役割。
この与えられた役割をこなすのではなく、自分の意思で行動したい意味であり、決してあらゆる義務を放棄して自由になりたいという意味ではないです。
FF12のメインテーマである「自由」に対し、アーシェは「自分の意志で行動する」結論にたどり着きました。
FF12は「義務」に課せられたアーシェが「自由」を手に入れる過程を見ていくゲームでもあります。
そして、「自由」を手に入れるための最後の障壁が「義務」の象徴とも言えるヴェインなわけです。(ヴェインの「義務」については後述します)
FF12名言・名場面⑧:すべてはソリドールのために
ヴェインが、父グラミス皇帝殺害(事実は自殺)事件の際に、亡き父の手を取りながら発したセリフ。
このセリフこそがヴェインやグラミス皇帝の行動原理でもあります。
敵対する元老院が、ソリドール家を排除しようと思索していることを、ヴェインは病床の父グラミスに告げます。
そして「ソリドールのため」には、どのような行動が最適なのかヴェインはグラミスに示唆します。
この場面でいう最適な行動は、グラミスが毒による自殺を図り、それを元老院の仕業として、元老院を一気に排除する命を使った策略です。
ヴェインの示唆に戸惑うグラミス皇帝。
「白い手の者(四男ラーサー)に代わり、その手を汚すか」
このグラミスの問いに対して、「すでに血に染まっています。」「ならば最後まで私が」と迷いなく回答するヴェイン。
グラミスは空を見上げながら「すべてはソリドールのためにーか」と自身の死を持って元老院を排除する決意します。
ヴェインは亡きグラミス皇帝の手を取りながら「すべてはソリドールのために」と言葉を残します。
この言葉の背景には、父への敬意と自身の決意が感じられます。
敬意とは、父グラミス皇帝がソリドールの未来のために意義ある自殺を決行したこと。
決意とは、ヴェインが今後も迷いなき「ソリドールの剣」として役割を果たすこと。
「自由」に対する「責務」の象徴であるヴェインには2つの行動原理があります。
- 「すべてはソリドールのために」
- 「歴史を人間の手に取り戻す」
実際にプレイしていても、ヴェインは2つの責務を忠実に果たしていることが伝わってきます。
ただ、この2つの責務を果たすために、主人公ヴァンやアーシェの故郷ダルマスカを滅ぼしていますし、覇王の末裔に与えられた「破魔石」を奪ったり、父や兄弟を死に追いやったり、戦争を仕掛けたりします。
ヴェインの行動は、周りの人々の「自由」を奪っていることから、FF12において敵認定されたわけです。
話は少々脱線しますが「ソリドールのために」非道な行動を起こすヴェインも、見方によっては悲運なキャラとも言えます。
- 兄2人を粛清し周りから冷酷非情なイメージを持たれますが、実際は父グラミス皇帝の命令の可能性あり。
- 自身の権力欲のため父をも殺害したと思われるも、実際は弟ラーサーの障害となる元老院を排除し、ソリドールの未来のために権力を掌握。(実際は他殺でなく自殺)
- 反旗を翻したジャッジ・ドレイスの粛清をガブラスに命じたことも、ガブラスの同志であるドレイスをガブラスの手で粛清を行わせることで、ガブラスの「ラーサーを守る」という責務をより堅固にする狙いがあるようにも見受けれらる。
ラーサーが手を汚さずに皇帝になれるように、自身が徹底した汚れ役を受けるヴェイン。
それにも関わらず、最後には弟のラーサーに剣を向けられます。
ラーサーが清廉潔白でいられるのも、ヴェインがラーサーの分まで汚れ仕事を処理しているからに他ならないのですが、張本人ラーサーから剣を向けられ、怒りの感情が出てもおかしくないが「頼もしいな」と感心。
あれっ、ヴェインって本当に悪い奴?
似たようなキャラとして挙げられるのが、「ベオルブのために」に手を汚してきた、FFTのダイスダーグ。
ダイスダーグも同じように弟に剣を向けらるが、こちらは必死に弁明!
このときのダイスダーグのセリフが以下の通り。
おまえがそうやって剣を振れるのは誰のおかげだと思っている!?
英雄と呼ばれるのは誰のおかげだ!
すべてこの私だ!
この私が手を汚しているおかげで、おまえはその立場にいられるのだ!
感謝されることはあっても、おまえに恨み言を言われる筋合いなどないわッ!!
ヴェインとダイスダーグ・・・
どちらも、家系のために行動を起こし、時には汚れ役も引き受け、時には冷酷な選択も取る!
これらの共通点から同列に見られますが、ダイスダーグとヴェインでは器が全然違います。
最期は自らに課せられた義務(すべてはソリドールのために)に殉じますが、製作者の計らいで「名誉の戦死を遂げられた」ことにされています。
ラスボスが名誉の死という表現はFFシリーズでは初です。
FF12名言・名場面⑨:歴史を人間の手に取り戻す
ゲームのタイトルに、ぴったりなキャッチフレーズ。
実はこのセリフ、敵役シドの口から聞くセリフ。
また、シドと世代を越えた友人であるヴェインの行動原理とも言えます。
シドの他にヴェインに心酔するジャッジ・ベルガも、このセリフを口に出します。
個人的にはジャッジ・ベルガのセリフは好き。
笑わせるな!人造破魔石は人間の力だ。
神々に挑む大志を抱いた人間が・・・
その知恵でつくりあげた人間の武器!
真の覇王にふさわしい剣だ!
与えられた破魔石に頼りきっていたレイスウォールなど、偽りの覇王に過ぎんわ!
見ておれ!やがて全イヴァリースに、真の覇王の名がとどろく!
神々の意思を打ち破り、歴史を人間の手に取り戻す。
その名は、ヴェイン・ソリドール!
あのお方が築く歴史に、ダルマスカの名は不要!
レイスウォールの血筋ともども、時代の闇に沈めてくれるわ・・・
残念だったのが、このようなカッコいいセリフとは裏腹にジャッジ・ベルガが弱かったこと。
人造破魔石の凄さを引き立てるためにも、FFTのウィーグラフ(ベリアル)のような凶悪な強さにするべきでした。
シドが「歴史を人間の手に取り戻す」ことを決意したきっかけは6年前。
ヤクト・ディフォールで、オキューリアの異端児ヴェーネスと邂逅したことです。
ヴェーネスはシドに、オキューリア達が「破魔石」を用いて、これまでの歴史を影で操作していたことを伝えます。
「歴史は人間が築くもの」
この言葉が持論であったシドは、ヴェーネスの教えてくれた事実に憤慨し、以後は「歴史を人間の手に取り戻す」ために「破魔石」を手に入れるべく、ダルマスカやナブラディアを襲撃したり、「破魔石」の測定を試みて想定外とはいえ首都ナブディスを崩壊させてしまいます。
最終的には、この難題を成し遂げます。
シドやヴェインの「歴史を人間の手に取り戻す」という己に課せた「義務」のために、祖国ダルマスカを滅ぼされたアーシェ。
皮肉にも、このアーシェが「過去の束縛」「救国の聖女」からの解放という「自由」を手に入れるため、「破魔石」の源である「天陽の繭」を破壊したことでシドの願いを叶えます。
「天陽の繭」を砕くことが、「破魔石」の歴史を終わらすことでもあったからです。
見方によっては、アーシェも「歴史を人間の手に取り戻す」ことに一役買いました。
アーシェは「破魔石」によって歴史が導かれていた事実を旅の中で知り、そのうえで「破魔石」の力を捨て、「天陽の繭」を砕く決断をしたからです。
歴史を人間の手に取り戻す!
この言葉はFF12を語るうえで外せないキーワードです。
FF12名言・名場面⑩:どうせ逃げるなら、逃げ切ってみせんか。馬鹿者めが
大灯台最上階で、主人公達との闘いに敗れたシド。
そして消滅を迎える間際に実の子であるバルフレアに対して発したセリフ。
バルフレアはシドの計らいによって、かつてはジャッジの職についていました。
しかし、6年前のヤクト・ディフォールに出向いた以降、シドは「破魔石」に心を奪われてしまいます。
心を奪われた父親を見て、自分の父親とも思えなくなってしまったバルフレアは、その場から逃げ出し、空賊の道に進んだ過去があります。
しかしながら、逃げたはずにも関わらず「破魔石」の運命に引き寄せられて、シドの前に再び姿を現すバルフレア。
そして「破魔石」の運命により、アーシェに同行したバルフレアは、シドの「オキュリーアから歴史を取り戻す」戦いも巻き込まれてしまいます。
そんな「破魔石」によって振り回されているバルフレアを見て、シドは最期にバルフレアに話しかけます。
「どうせ逃げるなら、逃げ切ってみせんか。馬鹿者めが」
この時のシドの表情は「狂気の科学者」でなく「子を想う父親」でした。
シドは最期に「空賊バルフレア」の生き方を肯定する、エールを送ったわけです。
シドは心のどこかで自分の理想をバルフレアに押し付けたこと、破魔石やオキューリアとの戦いに巻き込んでしまったことに対し、負い目を感じていたのでしょう。
だからこそバルフレアに「(過去から)逃げ切ってみせろ」と伝えたわけです。
この話の切ないところは、シドの元から逃げたはずのバルフレアもどこかでシドを信じていたこと。
例えば、ドラクロア研究所のシドの机の上の資料を見つめながら「─あれから6年か」「何があんたを変えたんだ?」と呟いたり、ギルヴェガンでオキューリアの存在やシドの変貌の真相を知った後、「おかしくなったんじゃなかったんだ。」と、どこかホッとしたような言いぶり。
完全にシドが変貌してしまったと頭では理解しつつも「そいつ(ヴェーネス)が取り憑いていたんだな」と、あえて問いていたことから、父親を信じたいバルフレアの気持ちがセリフにも何回か現れています。
また、この「どうせ逃げ切るなら、逃げ切ってみせんか」というセリフの考えさせられるところが、シドと対峙する前にフォーン海岸で「だから終わらせる。過去に縛られるのはもういい。」と過去と向き合って、自由になる!と試みるバルフレアの決意に対し、シドの最期の言葉は、過去から逃げ切って自由になれ!と1つの問いに対しも、答えが異なるのがFF12の特徴とも言えます。
一見すると、FF12は「破魔石」の力を求めることに葛藤するアーシェを描いていますが、別の角度から見ると「破魔石」から逃げ切れなかったバルフレアの物語でもあります。
やはりバルフレアは、この物語の主人公でした。
FF12名言・名場面まとめ
FF12は物語をプレイヤーに委ねており、考察を楽しむ作品でもあります。
ゆえに1つの場面や言葉においても複数の捉え方ができるため、本記事でお伝えした10の名言・名場面も、人によってはスルーしたり真逆の感想だったりもします。
FF12は敵も味方も、多様な価値観があります。
加えて、政治や義務といった重たいテーマがのしかかる大人向けのストーリーでもあります。
そのため、子供時代にプレイした人も大人になって改めてプレイしてみると、当時はスルーしていた部分に心を打たれたりもします。
興味を持たれた方は、ぜひ再プレイしてみてください。
特に子ども時代以降、プレイされていない方は、新たな発見が期待できます!
長文ながら、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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